日本往生極楽記 にほんおうじょうごくらくき

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 1冊
  • 重文指定年月日:19960627
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 公益財団法人前田育徳会
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 『日本往生極楽記』は慶滋保胤の著したわが国初の往生伝で、後続の往生伝にも多大な影響を与えたが、とくに『往生要集』や『今昔物語集』との密接な関係はよく知られている。成立については『続本朝往生伝』には寛和年中の作とみえるが、通常は所収記事中最も時代の降る千観(永観元年-九八三年)伝以降、本書にふれた『往生要集』の成立する寛和元年(九八五)四月以前と考えられている。また行基伝来の注記から、本書が現行本の形態となったのは兼明親王(一説には具平親王)薨去の永延元年(九八七)をさほど降らない時期であったことが知られる。
 前田家本は鎌倉時代前期書写になる称名寺伝来の古写本で、体裁は袋綴装。現装は薄黄新補表紙を付した明朝装である。表裏に楮旧表紙を付し、旧表紙中央には「日本往生極楽記」の墨書外題と右下に「湛睿」の伝領記を記し、見返しには「聖徳太子」以下七名分の標目を掲げる。本文料紙は楮紙を用いるが、湛睿の代に補写された旧表紙および第一丁とは紙質を異にするほか、各料紙天地には修理に伴う裁断の跡がみえている。
 本文は首題以下著者名を記し、序以下本文は半葉八行に奔放な行体真名に書写し、巻末には所載人数の記記がみえ、尾題までを完存する。文中聖徳太子伝より東大寺明祐伝途中までには、本文とほぼ同時代の墨傍訓、送仮名、返点、声点等が稠密に付されている。本書の内容を他本と比較するに、成意伝と智光・頼光伝の順が異なるほか、語句の異同もみえ、ことに藤原義孝伝来に片仮名の和歌が加えられている点は他本と大きく異なる特徴である。
 巻末には「寛永元年五月十一日書写畢、同日一交了」の書写校合奥書がみえるが、この奥書部分は本文と同筆であり、料紙、筆跡、仮名点からみて本書の書写が鎌倉中期に降るものでないことは明白である。この「寛永」年号は類似の元号の表記を誤った可能性も否定できないが、この点については後考をまちたい。

日本往生極楽記

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