高幡不動本尊像内文書 たかはたふどうほんぞんぞうないもんじょ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 南北朝

  • 南北朝
  • 69通
  • 重文指定年月日:19940628
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 金剛寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 この文書は暦応二年(一三三九)の常陸合戦に従軍して戦死した山内経之【やまのうちつねゆき】の菩提を弔うため、高幡不動の本尊不動明王の像内に収められて伝来したものである。これらは昭和初年に本尊の首の辺から束ねた形で取り出されたと伝え、昭和六十年から六十二年度に東京都と日野市教育委員会が行った調査報告によって広く世に紹介され、平成四年度の『日野市史史料集』編纂の過程で、断簡を含む六九通の文書と五一紙の断片類に分類整理がなされた。六九通のうち五〇通が筆跡等から山内経之自筆書状と認められ、この経之は文書からみて、山内首藤の支族として日野本郷の地に所領をもち、高幡殿(高麗助綱)、新井殿、青柳三郎といった近隣の在地領主層と密接な関係をもつ武士であったことがわかる。これら経之書状は平易な仮名文で、戦場からの書状には料紙の制約もあってか竪折紙【たておりがみ】を用いるなどの特徴がみえ、その内容も彼の日常生活に関するものをはじめ、常陸合戦の陣中や戦場から留守宅の妻子や高幡不動の僧侶などに充てたものがほとんどで、当時の東国武士の実態を赤裸々に伝えて価値が高い。
 ところで、これら納入文書の紙背には十四世紀頃とみられる不動明王ないし大黒天の印仏が捺されている。印仏の目的については諸説あるが、本文書群が山内経之の妻子やその関係者の手元にあった経之書状をことさら蒐め、これらを料紙として印仏を行っていることよりみれば、この印仏群が山内経之の親族関係者による経之供養のための作善遺品であることは明らかである。また本文書が納入されていた本尊は、像内納入墨書銘札等によって、建武二年の大風によって倒壊した本堂のため大破し、康永元年(一三四二)六月廿八日にその修復がなされたことが判明するから、おそらく本文書は経之の三回忌供養に際して故人との親交厚かった不動堂住僧との関係などを通じて、修復なった本尊の像内に納められたものであろう。

高幡不動本尊像内文書

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