当寺の本尊、弥勒菩薩に釈迦如来、地蔵菩薩、不動明王、降三世明王の諸尊を配した五尊として本堂の宮殿内に祀られるものである。いずれもヒメコマツ材を用いた寄木造、彫眼の像で、頭・躰幹部を前後二材矧とし、表面は髪、唇などを除けば素地仕上げとしている。
弥勒菩薩像は五智宝冠を戴き、法界定印を結んで結跏趺坐する。もとは両手上に宝塔を持していたかと思われ、その像容は『慈氏菩薩略修愈〓念誦法』(『大正新脩大蔵経』第二〇巻)が説くところのものと一致する。不動明王と降三世明王を従えることも同書に説かれるが、三面六臂のしかも各面を二眼とする降三世明王の遺例を他に知らない。この三尊に釈迦如来と地蔵菩薩とを加えた五尊の組合せを説く確かな経軌はなく、おそらく当来仏である弥勒に、過去仏としての釈迦と、現世の菩薩としての地蔵をあわせて、三世の救済を願うことからわが国で創案されたものであろう。
本五尊像の製作については、弥勒菩薩像の像内背部墨書銘により、侍従法橋寛□が、永仁六年(一二九八)に造立したことが判明する。当寺に伝わる『慈恩寺伽藍記』によれば、永仁四年に本堂が焼失、嘉元四年(一三〇六)に至って再建されたという。本五尊像は、この永仁四年の火災で失われたであろう旧本尊の再興像として造立されたものと考えられ、類例稀な弥勒五尊像の製作年次の明らかな基準作として推賞されよう。
なお、附の弥勒菩薩像像内納入品は、近年まで弥勒菩薩像像内に奉籠されていたもので、宝篋印陀羅尼経・般若心経・諸尊陀羅尼等(永仁六年九月十二日書写奥書)一巻、般若理趣経・宝篋印陀羅尼経・般若心経(永仁六年九月十七日静慶書写奥書)一巻など経巻類八巻と一通・二四枚の弥勒菩薩印仏、およびその他断簡類からなる。その中心は、慈恩寺僧静慶等が書写した宝篋印陀羅尼経と、僧俗多数の結縁者名とその奉加額を書き加えた弥勒菩薩印仏であるが、造像再興事業の具体的な様子を伝えるものとして貴重である。