等身大の大日如来像に、一廻り小さな四菩薩像を配する五尊像である。
大日如来像は智拳印を結ぶ通例の金剛界大日如来像であるが、四菩薩像は胸前で両手を合わせて指を組むいわゆる外縛印【げばくいん】を結んで両手第三指を変化させており、三昧耶印【さまやいん】と呼ばれる特殊な印を結んでいる。これらの印は、『金剛頂一切如来真実大乗現証大教王経【こんごうちよういつさいによらいしんじつだいじようげんしようだいきようおうきよう】(二巻)』(不空訳)、『金剛頂瑜伽中略出念誦経【こんごうちようゆがちゆうりやくしゆつねんじゆきよう】』(同)や、『阿裟縛抄【あさばしよう】』などの経軌に触れられる阿〓【あしゆく】、宝生【ほうしよう】、観自在王【かんじざいおう】(無量寿【むりようじゆ】)、不空成就【ふくうじようじゆ】の四仏の三昧耶印とほぼ一致する。一方、これらの経軌には四波羅蜜菩薩の三昧耶印が前記四仏の印と同じであることを説いている。また『五部心観【ごぶしんかん】』、「金剛界大曼荼羅」章に描かれた四波羅蜜菩薩にあたる四尊の三昧耶印のうち、三尊については本四菩薩像の印とほぼ一致しており、本四菩薩像は四波羅蜜菩薩像として造像された可能性が大きい。大日如来とそれに親近して侍坐する四親近【ししんごん】菩薩である四波羅蜜菩薩との尊像構成そのものについては、金剛界曼荼羅の成身会【じようじんね】中輪にみられ、本五尊像はおそらくこれを典拠としながら、通常密教の修法に用いる三昧耶印をとらせたものではないかと考えられよう。
像は、いずれも檜を用材とするが、大日如来像と両手第三指を接して竪てる金剛波羅蜜像は、頭躰幹部を両耳後、両躰側を通る線で前後に矧合せた二材から彫出する寄木造りとする。他の三菩薩像はいずれも、頭躰幹部の大略を一材から彫成し、いったん躰側で割り放して像をつくる割矧造【わりはぎづく】りからなる。このようにその構造には違いがあるが、いずれも切れ長の細い眼と小さな鼻、唇を相貌に刻み、脚部の肉付けも薄く、衣文の彫りも浅い。その作風は平安時代の和様彫刻の末期的な傾向を示すもので、製作は十二世紀も末頃と推定される。
現状、表面が近代のベンガラ彩色に覆われ尊容が損われているが、きわめて特殊な構成を示す類品稀有の密教群像として甚だ注目される遺品である。
なお、大日如来像の像内躰部左側に「願主金剛佛子勝阿」と判読できる墨書があるが、勝阿については不詳である。