木造五智如来坐像(五仏堂安置) もくぞうごちにょらいざぞう(ごぶつどうあんち)

彫刻 / 平安

  • 平安
  • 5躯
  • 重文指定年月日:20050607
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 天野山金剛寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 天野山金剛寺の五仏堂に安置される五智如来像で、大日如来を中尊とし、阿〓【あしゅく】如来、宝生【ほうしょう】如来、阿弥陀如来、不空成就如来を四方に配する。四如来は光背頂部の種字から尊名を特定することができる。大日如来は智拳印を結び、条帛、裙、腰布をつける金剛界大日如来で、阿〓、宝生、阿弥陀、不空成就の四如来は、衲衣を偏袒右肩にまとい、それぞれ左手施無畏、右手与願印を基本とする印相にして坐す。
 構造は、大日如来、阿〓如来、阿弥陀如来は、頭躰幹部を檜と思われる針葉樹の一材を用いて彫出し、大略両耳後を通る線で前後に割矧ぎ、内刳のうえ三道下で割首し、さらに面部を割矧ぎ、玉眼を嵌入する。宝生如来と不空成就如来は頭躰を別材製とし、最近の修理時の所見によれば、この両像の体部が入れ替わっているらしいが、これまでに解体修理を受けた形跡がなく、頭部と躰部の矧目の状況等から現状が当初の仕様と判断される。
 五智如来では京都・安祥寺像(重文)がよく知られるが、通常の金剛界大日如来に、阿弥陀如来が衲衣を通肩にまとい定印を結び、他の如来が偏袒右肩の衲衣に右肩を露わにして左手腹前で五指を曲げ、右手を阿〓が触地印、宝生が与願印、不空成就が施無畏印とする現図曼荼羅中の金剛界五仏図像の形姿に倣って表現している。本一具はこうした古様な五智如来の図像に依らない新様を示すもので、須弥壇前面左右に安置される阿〓・宝生如来が左足を外にして結跏趺坐【けつかふざ】し、その背後に位置する不空成就・阿弥陀如来が右足を外にして結跏趺坐する坐法も特徴的で、安祥寺像のように五躯とも右足を外にして結跏趺坐するという図像とは異なるものである。
 大日如来は整った造形表現を表すが、同時期の作である円成寺の大日如来像(国宝)に比べれば穏やかで、平安時代末期の慶派とは異なる仏師の作といえる。四如来のやわらかくやや肥満する体躯表現もそのころの保守的な作風を示していよう。
 現在の五仏堂は慶長十一年(一六〇六)の再建になるが、当寺所蔵の近世文書に、創建期の天野山金剛寺において、三宝院(五仏堂)は治承四年(一一八〇)建立と記される。同じころの製作と考えられる多宝塔の大日如来像に髻・面貌表現等近似することとも合わせて考えれば本像の製作を治承四年ころとみて矛盾なかろう。後補部分が少なく、光背台座あるいは大日如来像の胸飾等の装身具までよく残り、五体の揃った保存状態良好な五智如来の優品といえる。

木造五智如来坐像(五仏堂安置)

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