木造阿弥陀如来及両脇侍坐像 もくぞうあみだにょらいおよびりょうきょうざぞう

彫刻 / 平安

  • 平安
  • 3躯
  • 重文指定年月日:20000627
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 常照皇寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 常照皇寺に伝わる阿弥陀三尊像で、定印を結んで蓮華座上に結跏趺坐する阿弥陀如来像に、両脇侍が立膝をして少し前屈みしつつ、左脇侍(観音)が蓮台(亡失)を持ち、右脇侍(勢至)が合掌する来迎形をなし、それぞれ雲座に乗る。
 三尊ともヒノキ材の割矧造で、表面は錆下地漆箔仕上げになる。中尊は、頭躰幹部を通して両耳後の位置で前後に割矧ぎ、内刳のうえ三道下で割矧ぐ。肉髻基部を鋸で截り頭部との間に薄材を挟み、左手は肩外側部・袖先上面・手首部、右手は肩・臂(前膊部は上下二材)・手首で矧ぎ、定印を組む両手先部、右腰脇、両足部、裳先に各一材を矧ぐ。
 左脇侍は頭躰幹部を前後に割矧ぎ、内刳のうえ三道下で割り矧ぐ。髻の髪束先、両手は肩、臂、手首で各矧ぐ。左足膝部は横一材、右足は付け根で別の縦材、足先を各矧ぐ。背面裙裾に三材を矧ぐ。天衣は別材を寄せる。
 右脇侍は、頭躰幹部は左脇侍に大略同じだが、体勢の調節のためか腰周り部を上下を割り放つか。左手は肩・前膊半ば・手首、右手は肩・上膊半ば・手首で各矧ぐ(合掌手先は共木)。両膝は各別材、背面裙裾に一材、さらにその左寄りと後方に各一材を矧ぐ。天衣は別材を寄せる。
 常照皇寺は、光厳天皇(一三一三-六四年)が晩年禅に帰依し、貞治元年(一三六二)丹波国山国庄に入ってこの寺を創め、崩御もここであったのだが、その創建以前の造立になる本像は、したがって、常照皇寺の前身である成就寺のものか、または光厳天皇所持のものかという想定が可能である。
 阿弥陀来迎彫像の歴史的変遷の中での本像の占める位置はきわめて重要である。すなわち、定印の阿弥陀と来迎形(持蓮台、合掌)の観音・勢至の組み合わせ、および両脇侍像が体勢を崩し衣を靡かせる動勢の表現という二点において、この時代としては類例のない作例であり、また先駆的でもある。平安時代の一般的な来迎彫像なら、中尊は来迎印で、両脇侍は来迎形ながら正座でやや前傾姿勢をとるだけものが多いのであるが、本三尊像のこの形姿は、定印に見られる観想的契機と鎌倉時代に顕著となる来迎の臨場感を、ふたつながらに表すものと考えられる。
 この動勢表現をよりいっそう具体的にしているのが蓮華座の載っている雲座であり、いずれも当初のもので、三尊像の繊細な表現と相俟って緩やかで軽快な動きを作りだし、全体として上品な作行きとなっている。平安時代後期(一二世紀)の製作と推定される。
 この期の優秀な作というだけでなく、稀有の三尊構成の図像と完備した来迎尊像の諸形式により、美術史だけでなく文化史的にも有意義な資料である。

木造阿弥陀如来及両脇侍坐像

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