白山修験の美濃馬場として栄えた長瀧寺の現本尊で、釈迦坐像の左右に騎象普賢と騎獅文殊を配する三尊像である。塔もしくは釈迦堂の本尊であったとの伝えもある。
いずれも檜材製で、頭体幹部を一材より造り前後に割矧ぐ構造になり、内刳りを施し(各像底は刳残す)、玉眼を嵌入する。表面仕上げは錆下地の上に中尊像および左脇侍像は全身を金泥塗、右脇侍像は肉身は白肉色、衣を金泥塗とし、おのおの衣部には細かい切金文様を施している。
釈迦像の背中をやや丸めてゆったりと構える体勢や、衲衣が左足先をくるんで両足部にかかるさまなど、三尊の作風や形制は基本的に十三世紀前半から半ば頃の慶派のそれを継承している。しかし形式化のみられる衣文表現や細身の華奢な体形に、より時代の下る要素が認められ、製作年代は十三世紀末から十四世紀初め頃と考えられる。本体・獣座とも丁寧な彫り口により、端正でまとまりのよい像容が刻み出されており、像表面の切金や脇侍の台座華盤などにみられる彩色の繊細な趣致とあわせて、鎌倉後期彫刻における最も洗練された作風を示す美作といえよう。また左脇侍像が〓襠衣、右脇侍像が袈裟を着ける服制や、右脇侍像の印相など、宋代美術の形式を積極的に取り入れた釈迦三尊像の遺品としても見逃し難い。