木造弥勒菩薩坐像 もくぞうみろくぼさつざぞう

彫刻 / 平安

  • 平安
  • 1躯
  • 重文指定年月日:20020626
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 東林院
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 前に差し出された両手の各第一・三指を捻ずる姿の弥勒菩薩像は、『慈氏菩薩略修愈〓念誦法』によっている。その巻下は、五仏宝冠を戴き、左手で蓮華を持しその華の上に法界塔印を置き、右手は説法印をなし、結跏趺坐する弥勒菩薩像を説く。本像は宝冠や持物が亡失するものの、ここに記された像容に一致する。この図像は、弥勒曼荼羅の本尊として画像に多少の作例があるが、彫像では本像のほかにほとんど例がない。また、像内胸部に横桟が架けられその上に蓮華が載せられる。これは後補とみられるが、蓮華がその上に月輪を支えていたのなら、そこに密教思想との関係を想定することもできよう。
 頭躰を一材から彫出し、割首のうえ頭部のみ前後に割矧ぎ、さらに頭躰の各背部に別材を当てるという明快な構造は、正統的な仏師の手を想像させる。事実その表現を見ても、簡明ななかに高度な洗練を経た美麗さが認められる。平安時代後期(一二世紀前半)の円派仏師の作と考えて大過ない。
 台座蓮肉天板の裏にある延宝七年(一六七八)の修理銘に、本像が当時高野山北室院本堂にあった旨が記される。北室院はもと谷上院谷にあって、高野検校を二度務めた良禅(一〇四八-一一三九)が中興した。本像はその作風から、良禅の北室院中興期の造立とみるのが適当である。良禅が建立した堂宇のうちに慈氏堂と多宝塔の一対があり、この慈氏堂本尊を本像に当てることも可能であろう。北室院は元禄年中(一六八八-一七〇四)往生院谷に移されたが、ちょうどそのころ、東林院住職の哲真(一六四五-一七三五)が高野検校となっているので、東林院に移されたのはこの折だったとも推定される。そうであれば台座にある享保九年(一七二四)の銘は、移座に当たって荘厳を加えたことを記したのであろう。
 彫像として稀有な図像の一例であり、また京都での造立を推定させる上質な作行を示す本像は、この時期の造像の多様さと優秀さを物語る好資料である。

木造弥勒菩薩坐像

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