本目録は、永久五年(一一一七)二月一〇日に一合に収納する摂関家の古記録を書き上げたものである。
本巻目録の「一合」に「殿」と記すのは、藤原忠実の身近にあった記録箱に書かれた銘記と想定される。注目記載は、「御堂御記卅六巻在目録」である。藤原道長の自筆本日記の国宝『御堂関白記』は、長徳四年(九九八)から寛仁五年(一〇二一)にわたって一四巻が断続的に遺されている。本目録により、永久五年時には、三六巻であったことや道長筆の「所充」が遺されていたことが判明する。既指定の国宝『後二条師通記』一巻がこのときには二巻の存在が確認できる。さらに、藤原師輔の「九條殿口傳二巻」や『村上天皇御記』である「天暦御記四巻」の存在も貴重な記録である。
本目録の「九條殿口傳二巻」「天暦御記四巻」の下部には縦一六・〇センチメートル、横四・七センチメートルの切除痕があり、また「御堂御筆所充」には「被入家之朱銘〓了」と他の箱に移す注記がある。忠実の時代は摂関家確立時期にあたり、家記を整理している過程が認められる。また、重要美術品の認定時の名称が『藤原忠実筆旧記目録』とあるのは、この一紙を巻子装に装丁した江戸時代の近衛家熙【このえいえひろ】が鑑定した題簽によったものであり、筆跡からも忠実筆とすることができないため、『摂関家旧記目録』と名称を改めた。
目録の既指定には、増上寺蔵『花園天皇宸翰宸記目録上』一幅があるが、古記録の目録で、平安時代まで遡るのは本目録しかない。
本目録は、古記録目録として最古の遺品として貴重である。