鶴林寺太子堂はもと法華堂として造られたもので、正中年間の棟札墨書銘により天永三年(一一一二)に建立されたものと考えられており、壁画三面も同時の作と思われる。聖徳太子像は秘仏として南北朝期に厨子によって覆われていたため汚損も少なく色彩は鮮明で、聖徳太子が髪を美豆良【みずら】に結い、袍に袈裟を着け礼盤上に柄香炉を執って坐し、周囲に把笏衣冠の三人物、毘沙門天などを描くが、いずれにしても一乗寺本(国宝)につぐ聖徳太子像の古例としてその価値は高い。
仏涅槃図と九品来迎【くほんらいごう】図は近時赤外線写真撮影によりその全貌が明らかとなり(本誌一五三号掲載)、そのうち仏涅槃図は暢達な筆致とおおらかな描写により応徳三年(一〇八六)の高野山涅槃図(国宝)につぐ基準例としてきわめて重要であり、九品来迎図は九品往生を精細に絵解きしているが、単なる来迎の景にとどまらずその山水表現や風俗の描写にも見るべきものがあり、世俗画としても甚だ珍重される。