絹本著色伝北条実泰像 けんぽんちゃくしょくでんほうじょうさねやすぞう

絵画 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 1幅
  • 重文指定年月日:19890612
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 称名寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 上畳に坐す僧形の人物がだれかを特定する明確な証拠はない。称名寺の宝物帳には、賛によって「東明上人像」と記載されるが、賛者東明道人は、北条高時(一三〇三-一三三三)の招きで来日した中国僧、東明恵(慧)日であり、本像の像主とするのは適当ではない。称名寺に伝来した肖像であるから、称名寺に由縁の人を像主として想定すべきであるが、数珠と扇子を手にする像主の姿は、同寺に伝わる国宝の「北条実時像」や「北条顕時像」と共通し、歴住の像とは異なる。しかも像主は鬚を蓄えており、入道者と見られよう。そこで、称名寺が正嘉二年(一二五八)以前に念仏信仰の寺として創建されたこと、そして実時の父、北条実泰(一二〇八-一二六三)が念仏信者で、入道し浄仙と号したことなどを考え合わせると、像主は実泰である可能性がきわめて高いということができる。画像の様式の古さもこの推定と合致するものであろう。
 北条実泰は、鎌倉幕府第二代執権、北条義時の子で、小侍所別当を務め、歌人としても著名であった。その学問・教養は子の実時に受け継がれており、金沢北条氏において肖像を作る習慣も、実時像に先立ち実泰のころより始まったということは、考え得ることである。
 画像は似絵の技法によって描かれている。面貌は微細な筆致でていねいに、衣はやや太めの軽く肥痩をつけた線でのびやかに描く。その表現は着実であり、制作年代が実時像より下ることはないと思われる。実泰像である可能性も高い、大和絵肖像画の貴重な遺例といえよう。
 東明恵日の賛は向かって左から書かれている。「念歸無念々方親。念々居塵已絶塵。塵盡圓明無亦遣。了然生死自由人。東明道人題」。印があるが判読不能。

絹本著色伝北条実泰像

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