絹本著色審海像 けんぽんちゃくしょくしんかいぞう

絵画 / 鎌倉

  • 神奈川県
  • 鎌倉
  • 1幅
  • 神奈川県横浜市金沢区金沢町142
  • 重文指定年月日:19950615
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 称名寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 像主の妙性房審海(一二二九~一三〇四)は、南山律にも博識のきこえが高かった関東東密の僧、慈猛に法を受けたが、文永四年(一二六七)、下野薬師寺にあって忍性の推挙を受け、北条実時が律宗に改めた称名寺の住寺に迎えられた。嘉元二年(一三〇四)、七六歳で当寺で示寂しており、称名寺の開山とされている。画面の向かって右上隅には、正安元年(一二九九)に来日し、建長寺、円覚寺、南禅寺等の住寺を勤めた元の禅僧、一山一寧(~一三一七)の賛がある。画絹の上部が切りつめられているが、現状では「□行純全□ □□老之嗣/□大開此山法席不謬/□十六年能事畢宗風永□傳 一山一寧謹題「印文不詳」(朱文方印)」と読める。賛は像主の上部にあるのが通常であってこの位置にあるのはやや異例である。いずれにせよ、本図は審海が示寂した嘉元二年から、一山が京の南禅寺に移った正和元年(一三一二)の間に制作された遺像と考えられよう。
 審海の像には、袈裟を環で吊り、偏衫【へんさん】を左前に着けるなど、律宗僧としての特徴がみられる。ただ、多くの律宗の祖師画像においては、手に払子【ほつす】を執り、あるいは前に経巻を乗せた机を置くといった形式をとるのに対し、本図のように両手が禅定印を結んでいるものは例が少ない。著賛者が禅僧の一山であることを考慮すれば、禅宗との何らかの思想的交流があったことの表れと想像することも可能であろう。
 像の両肩の線、偏衫の襟元の線には修正の痕跡があるが、これは制作当初のものとみられる。描写には優れたものがあり、ことに顔貌は、細緻で柔軟な墨線によって細かな皺や、窪んだ眼窩、眼光鋭い眼などを描き、審海の老境とその個性的な風貌をよく表現しているといえよう。全体に寒色を用いている点でも、宋画の影響を受けたわが国鎌倉後期の高僧像の好例であり、制作期がほぼわかることでもその価値は高い。

絹本著色審海像

ページトップへ