木造一山一寧坐像

彫刻 / 鎌倉

  • 鎌倉
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19880606
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 南禅院
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 南禅院の亀山天皇御坐像(重文)を祀る御霊殿(享堂【きようどう】)の左脇檀上に安置される南禅寺第三世、一山一寧(一山国師、一二四七~一三一七)の像である。一山は中国・南宋淳祐七年、現在の浙江省に生まれ、正安元年(一二九九)来日後、建長寺、円覚寺、浄智寺の鎌倉五山の諸寺に歴住した。正和二年(一三一三)南禅寺に迎えられ、文保元年十月二十四日当寺で寂し、三日後亀山法皇の廟所の傍に一塔(旧大雲庵、現南禅院境内)をたてて葬むられた。
 像は、桧材、寄木造、玉眼嵌入、肉身部彩色、衣部古色仕上げとする。その製作は、一山没後間もない頃と考えられ、額に深く走る皺、眼の下のたるみ、筋張った喉元、あるいはやや猫背気味に肩を落した上躰など、その晩年の姿が克明に写されている。著衣の衣褶を比較的簡潔にあらわしながら、袈装を吊す絛【とう】の複雑な組合せなど、細部の扱いを装飾的にあらわすことも鎌倉時代末の一つの傾向を示すものであろう。また、頭・躰幹部をそれぞれ前後に矧合わせた二材からつくり、胸前の肉身を含む頭部を、襟際で躰部に差込む構造も、この頃の作として矛盾がない。
 本像の伝来については、像内に納入されている舎利包紙、略記の記述等から、『蔭涼軒日録』に記された大雲庵(一山塔所)像にあたることが推定される。また大雲庵廃絶後は南禅寺の一山派の拠点、雲門庵に伝わり、明治二十年雲門庵廃絶後は、一山の墓所を管理する南禅院に移安されたことも確認される。
 一山は我が国の禅宗史、文化史上きわめて名高い高僧であり、その墨蹟や彼が著賛した頂相の類は少なくないが、国師の頂相遺例はほとんど知られていない。本像は、一山の肖像としては中世以前、唯一の遺品と考えられ、また鎌倉末期禅僧の肖像彫刻の佳作としても注目される。なお、現在、左手、左袖端部、像底直板、彩色、持物(竹篦)、椅子などが後補のものにかわっている。

木造一山一寧坐像

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