高野山の奥地の有田川上流の渓谷に沿った花園村に伝承されているこの御田舞は、初春の予祝行事である田遊びの一典型であり、田打ちから収穫までの農作業の過程を古風な歌と踊で演じて、その年の豊穣を祈るという形式をよく伝えている。
まず春田の儀式があり、これが済むと遍照寺(大日堂)で修正会初夜修法が執り行なわれる。続いて御田舞がはじめられるが、白しらげ(百々烝)、黒しらげ(舅)、婿(福太郎)、脇鍬(百太郎)、尻鍬(徳太郎)、おんなり持、田植子、太鼓打などがそれぞれの役にしたがって、「田打」「溝かすり」「苗押し」「牛使い」「種蒔」「田刈」「籾摺」など十数曲を順々に演じてゆく、榊ばんやの歌囃子、廻り太鼓の歌詞などに古風なものがうかがわれ、田遊びの芸系として地方的特色がきわめて顕著であると認められる。