田原のカッコスリは、地元の多治神社の秋の祭礼の折りに、稚児【ちご】を中心に、鼓【つづみ】や太鼓【たいこ】、笛の演奏者と踊り手が、踊り手の歌にあわせ踊るもので、中世に流行した風流【ふりゅう】踊の様子をうかがわせる。
この多治神社の秋の祭礼は、平成九年から、十月十五日以前の、それに近い日曜日になったが、以前は十月十五日に行われ、さらに明治三十七年(一九〇四)の記録では十月八日に行われ、江戸時代の記録には七月八日に行われてきたとある。
カッコスリとは、今は伝承全体の名称であるとともに、稚児のまわりで鼓を持って踊る人を指すが、江戸時代の記録では、稚児もカッコスリと呼んでいたことがわかり、稚児が付けた鞨鼓【かっこ】にちなむ名称とされる。ただし近年、稚児が鞨鼓を付けることが、とだえていた時期があり、神社に保存されていた鞨鼓を、あらためて稚児が付けるようになったのは昭和五十八年からである。
地元では祭礼前夜に社務所で仕上げの練習をして、祭礼の当日の午前中に神社社務所に関係者が集まり、衣裳をつけて社務所の座敷で踊る。その後、社殿での神事終了後に、拝殿の前の広場で踊り、御輿【みこし】の行列とともに移動して、地区内の若宮【わかみや】社境内で踊り、さらに進んで御旅所【おたびしょ】に移動し、そこでも踊って終了する。
現在、胸に鞨鼓を付けた四名の稚児、そのまわりに鼓を左手に持って、それを打ちながら踊る四名、別に締太鼓【しめだいこ】を持つ者が六名と締太鼓の打ち手が六名、御幣【ごへい】を付けた榊【さかき】の枝を持つサンヤレと呼ばれる者が四名、数名の笛の演奏者、そのほか大勢の踊り手がつく。稚児以外の演じ手は裃姿である。
踊りは、中央に稚児が互いに向き合って立ち、そのまわりを鼓打ちが右回りに鼓を打ちながら踊る。その輪の外側の四隅に、それぞれ榊を持ったサンヤレが立ち、六人の太鼓持ちと太鼓打ちは、互いに向き合って横一列に並ぶ。太鼓の反対側に扇を持った踊り手と笛が並ぶ。なお踊り手はわずかに足を動かしながら歌うだけである。
このような構成は、中世に流行した風流踊の様子を伝えるもので、芸能の変遷の過程および地域的特色を示すが、変容する恐れが少なくないものである。