藤原定家の嫡男として俊成以来の歌学を継承した藤原為家(一一九七~一二七五)が文永五年(一二六八)、七十一歳から同十一年、七十七歳までの間に書き記した自筆の譲状四通である。為家は後妻の阿仏尼との間に為相が誕生すると、嫡子為氏に与えていた播磨国細川庄、越部庄、伊勢国小阿射賀御厨などの所領・所職を悔返【くいかえ】して、相伝の文書とともに阿仏尼・為相母子に譲与したが、この四通の譲状はその旨を記したもので、あわせて没後の供養のことなどを遺言している。冷泉家の成立の根本を示す文書であり、また阿仏尼の『十六夜【いざよい】日記』の成立の背景をも示している。