本茄子茶入は、足利将軍義輝が所持したと伝えられる大名物で、曲直瀬道三(一五〇七-九五年)、織田信長(一五三四-八二年)、豊臣秀吉(一五三六-九八年)、前田利家(一五三八-九九年)などを、付属の茶入袋・挽家・盆・牙蓋・利休作の茶杓を伴いながら伝来したもので、茶道具における唐物茶入のあり方を如実に示す貴重な遺例の一つである。
茶会記の記録によれば元亀二年(一五七一)八月十二日の織田信長による岐阜城での茶会や天正十五年(一五八七)十月朔日の北野大茶之湯など数多くの茶会で用いられている。
本茶入は、均整のとれた品格ある形姿を示しており、富士山の偉容にちなんで「富士」の銘が付けられたと推測される。総体に掛かる飴色の鉄釉は艶やかでむらなく均一に深く掛かり、一方には白濁した釉が大きく流れて見事な釉景色を作り出している。唐物茄子茶入(紹鴎・一名みをつくし<重文・湯木美術館蔵>)とともに唐物茄子茶入を代表する作行優れた作品であり、茶道文化史上貴重な遺例である。