唐物茄子茶入では、本茄子茶入が百貫茄子(似たり茄子)、付藻茄子(静嘉堂蔵)、珠光茄子とともに天下の四茄子茶入と称され、『山上宗二記』では茄子茶入の筆頭に挙げられる大名物である。もと松本珠報所持と伝えられ、鳥居引拙、武野紹鴎、今井宗久、織田信長、豊臣秀吉、徳川家光、東本願寺、閑事庵宗信(坂本周斎)などを、付属の茶入袋・挽家・四方盆・牙蓋・書状を伴いながら伝来し、茶道具における唐物茶入のあり方を如実に示す貴重な遺例の一つである。茶会記の記録には天文十八年(一五四九)二月十三日の武野紹鴎茶会をはじめとし、天正十五年(一五八七)の北野大茶之湯など数多く用いられている。
本茶入は、総体に掛かる飴色の鉄釉に、一方の肩先から裾にかけてやや白濁する三筋の釉がなだれかかり、その様子が澪標に似ているところから武野紹鴎が底に「見本徒久志」と墨書したとされる。紹鴎が所持したことから「紹鴎茄子」と呼ばれるが、底の墨書から「みをつくし」とも呼ばれる。
本作品は、大きさはやや小振りながら、形は端正な形姿を示し、総体に掛かる飴色の鉄釉はむらなく均一に深く掛かり、一方には三筋の白濁した釉が流れてみごとな釉景色を作りだす。唐物茄子茶入を代表する作行優れた作品である。
付属する茶入袋には正法寺緞子と紹鴎間道、挽家の蓋には他に類例がみられない椰子を用いる。四方盆は唐物若狭盆で、紹鴎好みと利休好みの象牙蓋が添う。小堀遠州書状は、江月宗玩に挽家の箱に銘を依頼する書状である。いずれも本茶入の格別の扱いを示す資料として貴重である。