諸戸氏庭園は桑名市北東部を南西に流れる揖斐川右岸に位置する。諸戸氏は加路戸 新田(現在の三重県桑名郡木曽岬町)で代々庄屋を営んでいたが、弘化4年(184 7)に桑名へ移住し、米取引などで財を成した。初代清六は、明治18年(1885) 頃、『久波奈名所図会』(享和2年、1802)にも描かれている江戸時代の豪商山田 家の屋敷を購入し、さらにこれに続く西方の水田を埋め立てて敷地を広げ、御殿の建 築と汐入形式の池庭の築造を行った。この御殿前の庭園は明治26年(1893)着 工、明治39年(1906)完成した。
庭園の主要な部分は、本邸前にある旧山田氏林泉と御殿の書院前面にある御殿庭園 の2つの部分からなる。敷地の西辺と北辺には濠がめぐっている。
旧山田氏林泉は、東西に長く伸びる浅い池を中心とする回遊式の庭園で、池の中央 では、南岸から中島、北岸の蘇鉄山に向かって八つ橋型の石橋をかける。池の西端に は、江戸時代以来の推敲亭が建ち、東側では蘇鉄山の東側を切り込んで北に伸びて濠 の近くに至る部分と南東に伸びて玉石を敷き詰めた枯流に至る部分と2つに分かれる 。このうち、推敲亭の付近が最も古態を留めているとみられ、池に続く低い地形は水 面に見立てて沢飛石が配置された作りは山間の渓流を思わせる。この部分にはもとも と杜若が植えられていたが、諸戸氏の時代になって池を拡張し、現在は池全体にわた り多品種の花菖蒲が栽培されている。
御殿庭園は、書院前の池を中心とするもので、濠から取水する汐入形式の池庭であ る。護岸は荒磯あるいは深山を思わせる荒々しい石組により高低差約1.5mで二段 に築成され、洲浜状の下段は汐の干満により冠水したり現れたりする構成となってい る。高所にある御殿の座敷からの観賞を中心とするが、池を回遊することで景観の変 化を様々な角度から観賞できるように工夫されている。また、池の東中央から北にか けての築山の中腹は志摩産出の平たい青石で覆うなど、独特の意匠を構成している。
本庭園は、近世の池庭に手を加えつつ、敷地を拡大して汐入の池庭を新たに作り、 全体を1つの庭園として構成したもので、保存状態もよく、観賞上の価値はきわめて 高い。また、旧山田氏林泉はもとの特徴をよく伝えるとともに、御殿庭園は近代にお いて地方の豪商が築造した独特な庭園として貴重な事例であり、学術的価値もきわめ て高い。よって名勝に指定し、保護を図ろうとするものである。