中山川右岸の平野に位し南北に二個の礎石群あり、北方のものは金堂阯と認められ稍西に偏して今の法安寺本堂なる藥師堂の下に礎石八個を存す。堂前及附近にも數個の礎石あり、此等は元來同一の基壇上にありしものと認めらる。
金堂阯の南約68尺を隔てて16個の礎石群あり塔阯と認められ方約20尺の塔の存せしこと明なり尚其の南方に中門阯と傳ふる地域あり、又金堂阯の北に講堂阯、其の附近に鐘樓阯、鎭守社阯と傳ふる處あり、即ち伽藍の主要建築たる塔、金堂、講堂は南北線上に位し所謂四天王寺式伽藍配置のものなりしことを示せり、而して域内の土中には遺瓦の埋藏せるもの夛く中には飛鳥時代末期の様式を示せる單辨連華文の鐙瓦、奈良時代前期の様樣式と認めらるる濶瓣式蓮華文の鐙瓦及■先瓦あり、四重孤及唐草文の軒平瓦等を發見し寺阯として稀有のものなり。