木造一鎮倚像

彫刻 / 南北朝

  • 南北朝 / 1354
  • 1躯
  • 重文指定年月日:19990607
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 称念寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 遊行六祖、一鎮(一二七八-一三五五年)の肖像である。一鎮は越後の生まれで嘉暦二年(一三二七)に同国曽根津で賦算を開始、各地で布教し京都・迎称寺(一条道場)や尾道・西郷寺等を開いたと伝えられており、藤沢・清浄光寺で入滅した。本像を伝える上越・称念寺もやはり一鎮開山とされる。
 ヒノキ材の寄木造で、頭体を別材製とする。頭部は首〓まで造り出す主材一材に面部一材を矧ぎ、玉眼を嵌入する。体幹部は正・背面各一材に両肩上面をなす各一材を挟み、両肩外側部(各内外二材製で外材より袖後半を造り出す)、両前膊(各内外三材製で最外材より袖前半を造り出す)を矧ぎ、両足部は上面左右二材、正面は垂裳まで含み左右二材、側面は同じく垂裳まで含み各一材とし垂裳後面材と合わせ箱組み式に矧ぐ。両足首以下は各一材製で、それぞれの上方に造り出した長い角棒を垂裳正面材裏面に固定する。体幹部および両足部の底面はそれぞれ底板をはめる。表面は錆下地彩色とするが肉身の白肉色と口唇の朱がわずかに遺る程度である。
 像内胸部に打ち付けられた木札表面の「作薗阿弥陀佛 入阿弥陀佛」、裏面の「南無阿弥陀佛 遊行第六春秋七十七 文和三年甲午三月廿七日」という墨書により製作年代と像主が明らかであり、また像主の生前に造られたいわゆる寿像であることがわかる。
 一鎮の肖像としては京都・長楽寺の七条仏所の製作になる時宗祖師像七躯(重文)中の、建武元年(一三三四)、当時五七歳の姿を幸俊(康俊)が写した一躯が知られている。これを本像と比較すると、両者は顴骨の高い骨格や目鼻立ちの特徴がただちに同一人物と首肯されるほどよく似ており、その類似は発達した後頭部の形状にまで及んでいる。一方で長楽寺像に比べ皮膚のたるみや皺の増した容貌には、二〇年を経た像主の外見の変化がよく表れている。その写実をふまえた堅実な作風や構造技法は長楽寺祖師像中の一鎮像を含む坐像四躯と共通し、本像も七条仏所に属する仏師の手になるとみて差し支えないであろう。
 当代の時宗僧侶彫像中の基準作例であり、長楽寺一鎮像とあわせて同一像主の異なる年齢時を表した寿像として貴重な一例といえる。

木造一鎮倚像

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