S43-6-087[[妙心寺]みょうしんじ]境内.txt: 建武4年、花園法皇により開基、関山[[慧玄]えげん](無相大師)を開山としたのに始まる。大内義弘の乱の際、足利義満は、境地寺産を没収し、その後もまもなく妙心寺を竜雲寺と改めたため、一時中絶した。その後、雪江宗深により中興事業がなり、文明の頃には、大徳寺と対抗するまでに栄え、臨済宗最大の宗派となった。
伽藍は、勅使門、山門、仏殿、法堂、寝殿等がよく残り、また玉鳳院等の庭園はよく旧規を伝えているので、境内と玉鳳院ほか衡梅院など37の[[塔頭]たっちゅう]が指定された。