聖福寺境内 しょうふくじけいだい

史跡 社寺跡又は旧境内

  • 福岡県
  • 福岡市博多区御供所町
  • 指定年月日:19691107
    管理団体名:
  • 史跡名勝天然記念物

S43-12-014[[聖福寺]しょうふくじ]境内.txt: 安国山聖福寺は、建久6年、栄西が宋より帰朝ののち、鎌倉幕府に申請して、博多に在住していた宋人百堂の故地に建立したもので、10年を経た元久元年に完成したと伝えられる。日本最古の禅宗寺院といってよい。
 160年を経た正平10年、第33世無隠法爾が再建し、その再建の碑文を、元の河南の陸仁に撰せしめたものが「聖福寺仏殿記」である。中世末のたびたびの兵火にかかり寺は焼失したが、第110世身峰玄熊は小早川隆景の庇護のもとに諸堂を再建した。このとき隆景の寄進銘のある朝鮮鐘や、永禄の乱に紛失したものを修補した旨の玄熊の奥書のある「聖福寺絵図」や寺内町の「借家牒」など、貴重な寺宝が現存し、玄熊は中興の祖と称せられる。
 寺域ははじめ方8町、塔頭38院といわれ、寺内に大工・鍛冶などの諸役の居屋敷があり、地子、大小夫銭が徴されたが、その後方4町の寺域に縮小され、現在では寺境内に西隣して、上記の寺中町の町割りがそのまま残っている。塔頭のうち現存するものは、円覚寺・順心庵・節信院・幻住庵・西光寺・瑞応庵・広福庵等であるが、とくに幻住庵内の虚白院に退靖した123・125世仙〓(*1)和尚は著名である。聖福寺にのこる勅使門・三門・仏殿・方丈・開山塔・鐘楼等の建物は、近世黒田氏の入国以後のものであるが、なお境内は樹林が鬱蒼と繁り、古寺院としての面影をまことによくとどめている。

聖福寺境内

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