土師百井廃寺跡 はじももいはいじあと

史跡 社寺跡又は旧境内

  • 鳥取県
  • 八頭郡八頭町
  • 指定年月日:19311126
    管理団体名:八頭町(昭37・8・21)
  • 史跡名勝天然記念物

S55-05-034土師百井廃寺跡(旧名称土師百井廃寺塔跡).txt: 鳥取県東部を流れる[[千代]せんだい]川の中流に、東部の山地から流れる[[私都]きさいち]川・[[八東]はっとう]川・大江川が一緒になって合流している。この地域は、古くは因幡国[[八上]やがみ]郡に属し、土師百井の付近はその内の土師郷に比定されている所である。私都川と八東川が合流する付近、後方に山を負い前方に私都川がせまったゆるい傾斜地に南面して造営された法起寺式の伽藍配置をもつ寺跡が土師百井廃寺跡である。この寺跡では古くより塔跡の礎石が完存し、心礎は地下式であることや出土瓦により7世紀後半の造営であることが知られ、昭和6年に史跡に指定されていた。この付近で圃場整備事業が開始されたことを契機に昭和53年・54年に郡家町教育委員会が発掘調査を実施した。調査結果によると塔は基壇南端部も確認され、一辺16メートルの基壇をもつ。塔の西に検出された金堂は石積基壇が良く残り、東西18メートル、南北16メートルの規模である。中門は、両者の南方で基壇東端の延石が検出された。回廊は講堂にとりつくもので平石で端を化粧した幅5.4メートルの基壇をもつ。講堂では円柱座をもつ礎石4を原位置で検出しており、東西30メートル、南北19メートル位の規模と推定されている。またこれら伽藍中枢部を囲む北方や西方で築地基礎とみられる石積がみとめられ、伽藍のほぼ全容が判明したものである。このように本廃寺跡は、今回その全体が良く遺存していることが判明したので追加指定し保存を図るものである。

土師百井廃寺跡

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