阿光坊古墳群 あこうぼうこふんぐん

史跡 古墳 / 飛鳥 奈良 平安

  • 青森県
  • 古代
  • 上北郡おいらせ町
  • 指定年月日:20070726
    管理団体名:おいらせ町(平19・10・4)
  • 史跡名勝天然記念物

阿光坊古墳群は、青森県南東部の太平洋岸より西へ約7km、奥入瀬川下流左岸の標高30mから40mの段丘上に立地する、7世紀前半から9世紀末にかけて営まれた大規模な古墳群である。
 阿光坊古墳群は、昭和62年に耕作中に勾玉が発見されたことから、昭和63年から平成2年にかけて下田町教育委員会(現おいらせ町教育委員会)が発掘調査を行い、周溝をもつ古墳12基、周溝をもたない古墳2基を検出し、その重要性が認識された。このため平成11年から18年にかけ、範囲および内容確認のための発掘調査を実施した。これらの調査により、周溝をもつ古墳108基、周溝をもたない古墳8基を検出した。墳丘が削平され、地表面に痕跡を残さないものがあることから、さらに未発見の古墳が存在すると考えられる。
 古墳は直径10m程度の円墳で、周溝をもつ場合、幅が1から2.5mほどの周溝がめぐる。墳丘は残りのよいもので高さが1.1mである。
 墳丘中央には、木棺直葬と推定される各1基の埋葬施設がある。墓坑は長辺2m、短辺1m程度、木棺は長さ1.7m、幅0.7m程度である。墓坑の一方の小口を階段状に加工するものがみられる。
出土遺物には、棺内に納められた副葬品のほか、周溝や墳丘に供えられた供献土器がある。副葬品には玉類や耳環などの装身具、蕨手刀や鉄鏃などの武器類や鉄製の馬具、農工具、土器類などがある。その内容は豊富で、東北地方南部以南の地域から入手したと考えられるものが多く、頻繁な交流を窺わせる。
 東北地方北部から北海道石狩平野にかけての地域で築造されたこの種の古墳群は、「末期古墳」などと称されている。当時、この地域は、古代律令制下に組み込まれておらず、いわゆる末期古墳群は、蝦夷と称された人々の墓と考えられている。その中で、阿光坊古墳群は100基以上と非常に大規模なものであると同時に、削平されずに残るものも多いなど、保存状況が極めて良好である。加えて、ほぼ3世紀にわたる継続期間は、この種の古墳群の中では長い事例である。
 また、阿光坊古墳群の周辺には、併行する時期の集落が集中して見つかっていることも注目される。代表的なものは古墳群が立地する谷を東へ約3km下った中野平遺跡で、これまで100軒以上の竪穴住居跡が見つかっており、未調査地域には竪穴住居跡と推定される窪みが地表から多数観察できる。このほか、大型の竪穴住居跡から蕨手刀や挂甲の小札が出土した根岸遺跡などもあり、古墳群との直接の関わりを想起させる。
 このように、阿光坊古墳群は末期古墳群の中では規模が極めて大きく、保存状況が良好であり、同種の古墳群の代表例と位置づけることができる。本古墳群は古代に蝦夷と呼ばれた人々の生活・墓制の実態や社会構成、当時の東北地方北部の社会状況を知る上で重要である。
以上のことから、阿光坊古墳群を史跡に指定し保護を図ろうとするものである。

阿光坊古墳群 あこうぼうこふんぐん

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