本文書は正安三年(一三〇一)正月、持明院統の後伏見天皇が譲位して、大覚寺統の後二条天皇が即位した際の皇太子問題に関連し、伏見上皇の置文を後伏見天皇が写し置かれたもので、楮紙に本文十三行で書かれ、文末に正安三年九月一日の年紀がある。
内容は、後伏見天皇に皇子がなかったため、父伏見上皇が、その次子富仁親王(花園天皇)を皇太子とすること、後伏見天皇に皇子が出生した場合はその嫡系が持明院統の皇位を継承すべきことを記し置かれたものであり、書風よりみて本文の筆跡は後伏見天皇の宸翰と認められる。おそらく後伏見天皇がその皇子量仁親王(光厳天皇)のために父伏見上皇の置文を書写し、後證とされたものであろう。
本幅は、鎌倉時代後期の持明院統の皇位継承に関する宸翰として注目される。