慶長二年十二月十六日付前田利長判物(守山町二兵衛他二名宛) まえだとしながはんもつ

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  • 前田利長  (1562~1614)
  • まえだとしなが
  • 富山県高岡市
  • 慶長2年12月16日 / 1597
  • 紙本・折紙(軸装)・墨書
  • 33.5×48.0
  • 1
  • 富山県高岡市古城1-5
  • 資料番号 1-01-5
  • 高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

 加賀前田家2代当主・前田利長(1562~1614)が越中の鍛冶屋に役儀(つとめ)を果たすように命じたもの。
 宛先は越中射水郡守山町(高岡市)の二兵衛と同孫兵衛、及び富山町本久である。末尾に「惣鍛冶中」とあるので、彼ら3名が越中鍛冶のリーダー格であったことがわかる。
 「京田舎のやく儀」とは、豊臣政権、及び前田家が賦課するつとめのことと考えられる。
 当時利長は2ヶ月前に、守山城から富山城へ移転したばかりであり、当時の前田家の越中支配の一端がうかがえるものである。


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【釈文】

  已上
 国中かちの
 事、誰々知行
 代官之内ニ有之
 ものたりといふ
 とも、壱人も不
 相残、京田舎の
 やく儀少も
 けたいなく可
 仕、もしとかくの
 儀申者有之ハ
 急度可申上、
 かたく曲言に
 可申付候者也

慶長弐
 十二月十六日 利長(花押)
   守山町
     二兵衛
    同
     孫兵衛
    冨山町
     本 久
      惣鍛冶中

慶長二年十二月十六日付前田利長判物(守山町二兵衛他二名宛) まえだとしながはんもつ
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