東大寺旧境内 とうだいじきゅうけいだい

史跡 社寺跡又は旧境内

  • 奈良県
  • 奈良市手貝町・雑司町・押上町・芝辻町・今小路町・水門町・登大路町・春日野町
  • 指定年月日:19320723
    管理団体名:奈良県(昭8・1・19)
  • 史跡名勝天然記念物

東大寺ハ聖武天皇邦家慶福ノ叡慮ニ依リテ建立セラレシ大伽藍ニシテ規模ノ雄大ナルコト世界ニ比類ナク境内ニハ大佛殿ヲ中心トシテ東方ニ大鐘樓、■二月堂、手向山神社(旧鎭守)等アリ西方ニ戒壇院及附属堂舍アリ西北ニ正倉院アリ創立當時ノ轉害門及鎌倉時代ノ南大門アリ東西兩塔ノ土壇大講堂、三面僧房、食堂等ノ礎石猶原位置ニ存セルノミナラス コノ大伽藍區域ヲ廻リテ僧房雜舍境内諸處ニ散在シ舊塔頭寺院ノ跡ハ現今民有地トナリシ處アリト雖モ寺名ヲ地字ニ存シ中門阯、西大門阯、聖武天皇御拝壇阯等皆礎石ニヨリテ平城京ノ東京極路タリシ現今ノ手具通ト境シ北方雜司方面ノ區劃亦旧時ニ異ナラス東大寺ノ四至ハカリテ天平創立當初ノマヽ依然トシテ嚴存シ國家鎭護ノ靈域タリシ舊態ヲ保チ我國ノ史蹟トシテ最モ重要ナルモノノ一ナリトス
H09-07-052[[東大寺旧境内]東大寺きゅうけいだい].txt: 東大寺は、天平15年(743)の聖武天皇の廬舎那仏建立の詔によって造建された奈良時代を代表する官寺であり、総国分寺でもある。その旧境内のうち、南大門、西大門跡、知足院、手向山八幡宮から若草山中腹に及ぶ範囲が、昭和7年に史跡に指定されているが、大仏殿の西北に位置する正倉院の一郭は、未指定のまま残されている。
 元来、正倉院は、東大寺の正倉が建ち並んでいた一郭であり、そのうちの一棟が今日に残る正倉であると考えられている。現存する正倉は、間口33メートル、奥行9.3メートル、総高14メートルの寄棟造り本瓦葺の高床倉庫で、1棟を3区分し、北倉・中倉・南倉からなっている。北倉と南倉は三角形の校木を組み上げた校倉造り、中倉は板倉造りであり、創建当初の姿を伝える奈良時代の倉庫建築である。
 天平勝宝8歳(756)、聖武太上天皇崩御の後、太上天皇遺愛の宮廷用品が廬舎那仏に献納され、北倉に収蔵された。中倉と南倉には、造東大寺司・東大寺の用度品、仏具、古文書、武器等が収蔵された。これら正倉院宝物は、天平時代を中心とするわが国の歴史や美術工芸、また大陸との交渉を物語る貴重な品々である。
 正倉は、江戸時代まで東大寺に所属したが、その開閉には勅使が派遣されるなど、厳重な管理が行われた。明治維新の後、正倉院は、東大寺を離れて内務省の管轄となり、やがて宮内省の所管となり、今日宮内庁の管轄するところとなっている。昭和20年代から30年にかけて東西両宝庫が新築され、正倉院宝物は両新宝庫に収蔵されている。
 以上のように、正倉院の一郭は、歴史的には東大寺旧境内と一体のものであり、また現存する正倉は、正倉院宝物を伝えてきた奈良時代の正倉として、きわめて重要な歴史的意義を有している。よって、東西両宝庫および正倉院事務所の存在する地域を除く正倉周辺の地域を史跡に追加指定し、保存の万全を図ろうとするものである。

東大寺旧境内

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