正倉院正倉 一棟
古代には、律令制の下、各国の正税を収納するために郡ごとに正倉が設置されていた。正倉には多くの倉庫建築がつくられたが、それらは収納するものの違いなどにより校倉(甲倉)、板倉、丸木倉などの様々な構造のものがあり、規格による区別も行われていた。
古代の各寺院には、経蔵(経庫)などの伽藍の主要な構成物件のほか、広大な所領をもっていたので、正倉と同様、敷地内に倉庫建築が多く存在した。そのうちいくつかが現存しているが、多くは校倉造となっている。
正倉院は東大寺大仏殿西北方に位置し、もとは東大寺に属した。正倉の建立は、光明皇后が聖武天皇の遺愛品を東大寺に献納した天平勝宝八年(七五六)前後と考えらえる。北倉・中倉・南倉と呼ばれる三室構成になり、北倉と南倉を校倉造とし、中倉を板倉形式とする。高床造の長大な倉で、屋根は寄棟造、本瓦葺とし、東面する。
正倉院正倉は、東大寺の中に建てられた倉庫建築で、現存する奈良時代建立の校倉の中でも最大級の規模を有し、双倉形式を伝える唯一の校倉造の建物としてわが国の建築史上きわめて高い価値が認められる。また、奈良時代の政治経済上特別な存在であった正倉の様子を伝える唯一の建造物遺構として、わが国の文化史上きわめて重要な意義を有している。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)