この倉は当初は綱封蔵※ではなかったが、十二世紀の始めにそれまでの綱封蔵が破損顛倒したために、その時から綱封蔵になったものと考えられる。部材の材質や手法から、建立年代は平安時代中ごろと推定される。
平面は桁行九間、梁間三間を方三間ずつ三区に分け、南北両区を倉にして中央部は吹抜けとする。内部は大梁上に二重梁を組み、束で棟木をうけ、化粧屋根裏とする。
双倉として現存する例は東大寺正倉院宝庫とこの綱封蔵の二棟だが、綱封蔵のように中央を吹抜けとして、吹抜け部分に向かって扉を開く形式こそ本来の双倉の姿であり、その唯一の資料である。
※綱封蔵とは、三綱(僧官)が封をする蔵のこと。