飛鳥池工房遺跡は,奈良盆地南端に位置する飛鳥の真神原の東を限る小さな丘陵部の谷間に所在する。この谷は奥行き南北約300mあり,平面形は人字形をしている。北に谷口があり,谷を出たところは飛鳥寺の南東隅にあたる。また,谷の南では平成11年に亀形石造物が発見され,さらにその南の丘陵上には史跡酒船石がある。江戸時代にはこの谷は堰き止められ,飛鳥池が作られた。
この飛鳥池の埋め立てが計画され,平成3年に奈良国立文化財研究所(現奈良文化財研究所)と明日香村教育委員会が発掘調査を行ったところ,飛鳥時代を中心とする様々な工具,漆壷,坩堝,木製様や炉跡などが検出されたことから,この地に金属製品,ガラス製品,漆製品などを製作した工房があったことが判明した。また,平成9年には奈良県が「万葉ミュージアム」の建設を計画し,それに先立つ発掘調査が同11年まで奈良国立文化財研究所によって行われた。この調査により重要な知見を得られたため,奈良県では万葉ミュージアムの設計変更等を行い,遺跡の保全を図ることとした。
遺跡は,出土した土器や木簡などから7世紀後半から8世紀初頭のものと考えられる。谷のほぼ中央に設けられた東西塀を境に北地区・南地区に区分される。北地区には石敷井戸,石組方形池,導水路,官衙風の建物などが検出されたほか,多量の木簡も出土した。遺構・遺物の性格から工房を管理する施設が置かれた地区と判断される。一方,南地区では,谷底に水溜と陸橋を組み合わせた汚水処理のための施設を設け,その両側に,多数の炉跡を伴った建物が検出された。出土遺物からも各種の製品を製造した工房群が置かれた地区と考えられる。
この遺跡での製作物は,金・銀・銅・鉄製品,ガラスや琥珀・瑪瑙・水晶などの玉類,漆器,瓦など多種にわたり,高度な技術を駆使したものを含んでいる。さらに,これらの生産に関わる様々な工具や容器も多量に出土している。また,従来,製作の場所や時代が不明であった富本銭が多数製作されており,これが日本最古の銅銭であることが判明した。遺跡の存続年代,位置,製作物の内容,木簡などから,この遺跡は,飛鳥に所在する飛鳥寺などの大寺院,飛鳥浄御原宮,藤原京などの宮殿・都城に深く関連した官営工房と考えられる。7世紀後半,日本は律令国家の成立を目指し,都城・寺院の整備,貨幣の鋳造などを行ってきたが,その実態を詳細に示しており,古代史・技術史上,極めて重要である。よって,史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。