表地を大胆に染め分け、小粒の鹿子絞りと多色の色糸による刺繡が黒地に映えた一領である。刺繡は平糸を用いた平繡を中心とし、糸渡りが整った柔らかい刺繡で光沢がある。また、芯糸が白と紅の二種類の撚金糸を用い、色味の変化をもたらす視覚的な工夫が見られる。
総体に本小袖は、黒を基調として金摺箔を施し、刺繡による小文様を充填する点が、元和・寛永年間(1615~44)を中心に流行した慶長小袖の特徴と類似する。このような黒地と金摺箔を背景に刺繡で文様を表した遺例には、重要文化財・黒紅地花卉文様繡箔小袖[東京都・独立行政法人国立文化財機構蔵(東京国立博物館保管)]や重要文化財・黒紅地熨斗藤模様繡箔小袖[東京都・独立行政法人国立文化財機構蔵(東京国立博物館保管)]などがある。しかし、本小袖では左肩を起点として裾に向かって表出した大柄で動きのある葉文様が、その後の寛文小袖の意匠構成に通じ、先に挙げた遺例などよりも文様及びその配置がより一層整理され、空間を生かした意匠構成となっている。このような意匠は、重要文化財・尾形光琳関係資料〈/小西家伝来〉[大阪市・大阪市立美術館蔵]に含まれる紙本墨画衣裳図案集3冊のうち、現在万治四年(1661)の表紙に綴じられている図案の中に類例が見られる。
本小袖は、慶長小袖に見られる技法や様式を踏襲しながらも、意匠構成は新たな流行の兆しを見せ、色彩共に簡潔明瞭な小袖である。当初の姿を良く保ち、慶長小袖以降の様式が現れた過渡的様相を示す小袖として意義深い。江戸時代前期の服飾や染色技法を知る上で欠くことのできない貴重な遺例である。