その他の美術 書 / 安土・桃山
宛名は不明であるが、折紙形式の書状を広げたまま表具したので下部が逆になっている。書き出しに「其方事」とあって目下の者への簡単な内容で、来る二十三日に相違なく罷り出よ、委細は使者の綿貫が申すと達者な速筆で書かれている。 輝元は元就の孫、織田信長と対立、本能寺の変後は秀吉に属して広島を本拠とし、島津征伐や文禄・慶長の役に従軍。五大老の一人となったが、関ヶ原戦のあとは周防・長門二国に減封された。(『名筆へのいざない―深遠なる書の世界―』海の見える杜美術館2012 解説より)
消息 御姫宛 七月吉日 「此月中ニ」
細川 三斎(忠興)
書状 土形宛 十一月廿五日 「就下国之儀」
今井 宗久
書状 徳順老宛 十一月八日 「先刻預御状」
古田 織部