池田私記 いけだしき

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  • 池田半九郎  (1804~60)
  • いけだはんくろう
  • 天保11年~万延元年 / 1840~60
  • 罫紙墨書 冊子装
  • 縦27.5cm 横19.0cm
  • 4冊
  • 佐賀市松原2丁目5-22
  • 公益財団法人鍋島報效会

佐賀藩士池田半九郎の日記を明治中期頃に抜粋したとみられる写本で、幕末期の佐賀藩政を知ることができる資料。天保11年(1840)から万延元年(1860)までの約20年間を編年体で記しており、24巻が4冊に製本されている。
内容は役所再編や人事異動、頻繁に長崎へ来航する外国船への対応、長崎警備強化に関する福岡藩との協議(筑前示談)など多岐にわたる。
嘉永7年(1854)月11朔日条には、「精煉方面々、中村奇輔・石黒寛次・田中儀右衛門、追々御番方御用蒸気軍艦御製造御用をも仰せ付けられ」として、10代佐賀藩主鍋島直正の蒸気軍艦製造の意志が示されている。その目的は「御番方御用」すなわち長崎警備のためであり、製造の白羽の矢が立ったのが理化学分野の研究・開発を目的として嘉永5年(1852)に設置された精煉方。ここには佐賀藩士佐野常民が勧誘した化学者の中村奇輔(京都出身)、蘭学者の石黒寛次(丹後田辺藩出身)、発明家の田中久重・儀右衛門父子(久留米藩出身)などが集まっていた。

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