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徳岡神泉(1896−1972)
TOK∪OKA,Shinsen
椿
Camellias
1922(大正11)年頃
徳岡政子氏寄贈
神泉が克明な細密描写を試みたのは、京都美術工芸学校では優秀な成績をおさめたにもかかわらず、度重なる文展落選の憂き目にあい、失意のうちに京都を離れて富士山麓の岩淵に移り住んだ大正8年から14年頃までの時期である。
《椿》について、神泉は「美しさに感激したときはただその物を見っめ、そのままに一生懸命くいさがって描くより他ないとし、打ちこんだものです」と話ったという。たしかに、そうしたぎりぎりの気迫が対象へと転じて、肉厚の花弁や葉が折り重なるなかから眼にはみえない生命のざわめきが聴こえてくるような画面である。