古室山古墳は、応神天皇陵と同皇后仲津姫命陵との間に介在する前方後円墳で、前方部を東北に面し主軸の長さ約160メートルを有する宏壮な封土をなし周囲に堀の跡が存する。墳丘は殆んど開墾の厄にあっているが、よく旧規をとどめている。附近に赤面山古墳、大鳥塚古墳、助太山古墳、鍋塚古墳がある。赤面山古墳は古室山古墳後円部の背後に存する一辺の長さ約20メートルの小形の方形墳であり、大鳥塚古墳はその北に接して存する前方後円墳で、前方部を南に面し、主軸の長さ約120メートルを有し堀の跡をとどめている。助太山古墳は古室山古墳の東方に存する方形墳で、一辺の長さ約36メートルを有し、一部に堀の跡を存している。鍋塚古墳は古室山古墳の東北方に存する仲津姫命陵の後円部背後に見られる方形墳で、一辺の長さ約50メートルを測る。
これらはいずれも応神天皇陵を中心とする道明寺古墳群中における顯著な古墳であり、わが国における古墳文化を考察する上に重要な地位を占めるものである。
平成26年10月 追加指定・名称変更
古市古墳群は大阪府藤井寺市・羽曳野市に跨り、4世紀後半から6世紀前半の大型前方後円墳や中・小型の円墳・方墳からなる古墳群である。
昭和31年に5基の古墳が史跡に指定されて以来、現在14基の古墳が指定され、平成13年には古市古墳群として指定がなされている。これらは古墳時代中期を代表する古墳群であるとともに、当該時期の政治構造や社会状況を考える上で重要な古墳である。
これらの古墳群のうち、稲荷塚古墳は帆立貝式古墳であり、墳丘中央部の盛土が残るものの、古代から中世にかけて墳丘が削られていったものと推定されている。平成8年に藤井寺市教育委員会によって実施された発掘調査によって、墳長50m、後円部径39m、前方部長11mに復元される。濠の埋土からは円筒埴輪片が出土しており、それらの特徴から築造時期は6世紀前半と考えられる。また、埋葬施設、副葬品は未確認であるが、濠の埋土中から、小型倭鏡の破片が出土しており、副葬品の一部の可能性がある。
東山古墳は、応神天皇陵古墳の外堤に接する位置にあり、応神天皇陵古墳の陪冢と考えられる方墳である。その規模一辺50m、高さ7mと推定され、墳丘は二段築成で、周囲には濠をめぐらせているが、埋葬施設や副葬品については不明である。墳丘の外表施設については、葺石、円筒埴輪列が確認され、円筒埴輪の特徴から、5世紀前半の築造と考えられる。なお、北側に位置するアリ山古墳と周濠を共有すると推定されている。
割塚古墳は、一辺50mの方墳と推定されるが、現在は墳丘の一部が残存する状態である。平成24・25年度に範囲確認調査を実施し、墳丘盛土を確認することができた。出土した埴輪の特徴から、4世紀後半の築造と考えられる。
また、墓山古墳は、墳長225mの大型の前方後円墳であり、墳丘部は、応神天皇陵古墳の陪冢として宮内庁によって管理されている。
このように、稲荷塚古墳、東山古墳、割塚古墳に関しては小規模な古墳ではあるが、古市古墳群の一要素をなす上で重要な古墳であり、これまでの調査によって規模や時期等についても明らかになったことから今回追加指定を行い、また、墓山古墳の周堤のうち条件が整った部分についても追加指定を行い、古市古墳群として保護の万全を図ろうとするものである。