熊斐(1712-73)は長崎の画家兼唐通事。姓は神代(熊代)、通称彦之進(のち甚左衛門)、諱は斐、字は淇瞻、号は繍江。姓諱を略して中国風に熊斐と称しました。熊斐は長崎滞在中の南蘋に画を学びましたが、唐館は限られた人しか出入りできず、熊斐が南蘋と接触できたのは内通事小頭見習に任じられた享保17年12月24日から南蘋帰国までの約9ヶ月と考えられます。『蘭斎画譜』「繡江熊先生小伝」によれば、南蘋は熊斐に菊葉をはじめ、四君子の画法を指導し、帰国後は弟子の高乾を長崎へ送り、教授したと伝えられます。
山中を流れる渓流で佇む2羽のタンチョウヅル。渓流では水中の獲物を狙い、岩上では首をくるりと曲げて、啄む様子を見つめています。繊細な筆致で密に描いた羽毛、首元から尾へと半円を連ねた羽で、艶めかしい鶴を描いています。岩にぶつかり、迸る水しぶきは濃墨の半円を連ねており、その濃密さは山中が特異な場と示すかのようです。中景の岩場には竹、菊を描き、背景には淡墨の塗り残しで滝を表しています。『詩経』「九皐鳴鶴」に由来する吉祥画題で、奥深い山中で鶴が鳴いてもその声が天まで聞こえることに、どこにいても徳の高い人物の名声は自然と知れ渡ることを託しています。「第弌流」の遊印は南蘋の継承者としての自負の表れといえます。熊斐の優れた技倆が光る重要作品です。
【長崎ゆかりの近世絵画】