『中山世鑑』は、尚質の命で羽地朝秀(向象賢、一六一七~一六七五)によって尚質三年(一六五〇)に成った最初の琉球の正史。序文には、国王が摂政の金武王子らに命じて、博古の旧僚を会して討議させ、その内容を朝秀に撰述させたと記されている。全六冊からなり、第一冊には序文など、第二から第六冊には、それぞれ巻一から巻五が収められている。序文と総論は漢文体、巻一から五はカタカナ交じりの和文体である。朝秀は摂政の職に七年間あった人で、琉球を代表する政治家である。
『蔡鐸本中山世譜』は、尚貞の命で蔡鐸(一六四四~一七二四)が『中山世鑑』を漢訳補訂し尚貞三十三年(一七〇一)に成る。薩摩関係の記事は一冊にまとめられている。
『蔡温本中山世譜』は、尚敬の命で蔡鐸の子蔡温(一六八二~一七六一)が蔡鐸本を改修し、尚敬十三年(一七二五)に一応の編集を終えた。蔡温は著名な政治家である。薩摩関係記事を集めた三冊は、鄭秉哲(一七三一~四三)の編集によって尚敬十九年(一七三一)に成った。蔡温本は最後の国王尚泰代まで書き継がれている。
これらは全て沖縄戦で紛失したが、昭和二十八年五月のペルリ来琉百年祭に際して、米国政府をとおして琉球政府にに返還された。三本は、伝来、内容から最も信頼のおける琉球の正史の伝本として、琉球の歴史研究上、極めて貴重である。