国分寺市重要史跡 恋ヶ窪村分水 こくぶんじしじゅうようしせき こいがくぼむらぶんすい

史跡 その他

  • 東京都
  • 恋ヶ窪村分水路は国分寺市内を流れていた玉川上水の分水で,明暦3(1657)年に開削された国分寺村外二ヶ村組合分水の一部を構成し,主に恋ヶ窪村の灌漑用として機能した水路である。…
  • 国分寺市西恋ヶ窪一丁目
    47番6,47番7,48番13,48番14,48番15,48番16,水路敷(特定水路中1号の一部),道路敷(市道中165号線の一部)
  • 国分寺市指定
    指定年月日:40051204
  • 記念物

玉川上水は,江戸時代の承応3(1654)年,江戸市中への給水を目的として作られた上水で,多摩川中流の羽村取水口から四谷大木戸までの約43kmは素掘りの開渠,江戸市中は暗渠であった。このうち上流部(羽村取水口から小平監視所まで)は現在も水道施設として機能し,都民の生活を支えている。竣工350年を迎えた平成15(2003)年8月,江戸,東京の発展を支えた歴史的価値を有する土木遺産・遺構として国の史跡に指定された。国分寺村外二ヶ村組合分水は,この玉川上水が開通して3年後の明暦3(1657)年に開削された分水で,平成29(2017)年は竣工して360年目を迎える。玉川上水の分水は,享保年間(1716~1736)の,いわゆる武蔵野の新田開発に因んで開削されたものが多いなかで,同分水は『上水記』に砂川分水(現立川市)・小川分水(現小平市)とともに「明暦3年願済」と記され,承応4(1655)年の野火止用水に次いで古い分水である。小川新田地先にあった分水口から,野川に合流する流末までの延長距離は一里半ほどで,水料(堰料米)は一石五斗を負担していた。

国分寺市重要史跡 恋ヶ窪村分水 こくぶんじしじゅうようしせき こいがくぼむらぶんすい

ページトップへ