宮津天橋立の文化的景観は,宮津湾(みやづわん)と阿蘇海(あそかい)とを隔てる天橋立及びその南北に展開する文化的景観である。
このうち,宮津湾西岸から阿蘇海北岸に位置する府中(ふちゅう)地区には,丹後国分寺跡(たんごこくぶんじあと)や条里制に遡る農地などが所在しており,古代丹後国府の所在地に比定される。中世から近世にかけて,当地が成相寺(なりあいじ)・籠神社(このじんじゃ)等による信仰の中心として機能したことは,16世紀初頭に雪舟が描いた『天橋立図』等によって示される。さらに,近代になるとケーブルカー等が整備され,土産物・旅館街等の町並みが形成されるなど,観光拠点として発達した。
他方で,国分(こくぶん)・小松・中野等の農業集落は旧道沿いに単列の街村形態を成しており,集落内の石積み水路には洗い物をするためのアライバが設えられている。また,阿蘇海ではかつてキンタルイワシと呼ばれたマイワシ漁が盛んであり,溝尻の漁村には海に面して舟屋が連続するなど,特徴的な文化的景観が展開している。
このように,宮津天橋立の文化的景観は,行政・信仰・観光の中心として発展してきた当地の歴史的重層性を示す土地利用の在り方と,宮津湾西岸及び阿蘇海北岸で営まれる農業・漁業による土地利用の在り方とが複合した文化的景観である。