室君<松岡映丘筆 大正五年/絹本著色 六曲屏風> むろぎみ まつおかえいきゅうひつ たいしょうごねん けんぽんちゃくしょく ろっきょくびょうぶ

絵画 日本画 / 大正

  • 松岡映丘
  • 近代 / 1916
  • 絹本著色 屏風装
  • (各)縦172.5センチ 横379.8センチ
  • 1双
  • 重文指定年月日:
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 公益財団法人永青文庫
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 松岡映丘(一八八一~一九三八)は現在の兵庫県神崎郡福崎町に生まれた日本画家で、橋本雅邦、山名貫義への師事を経て東京美術学校で日本画を学び、官展や金鈴社展などを舞台に活躍した。兄に国文学者の井上通泰、民俗学者の柳田國男、言語学者の松岡静雄らがおり、彼らの助言も得ながら学術的な見識を深め、自らも古画の考究を進めたことで知られる。東京美術学校や家塾での指導下に次代を代表する多くの日本画家が輩出し、新興大和絵会や国画院を主導した日本画の大家であり、大和絵の古典の諸要素を近代絵画に順応させた、格調高く色彩豊かな画風で名高い。
 本作は、第一〇回文部省美術展覧会で特選主席となった映丘の代表作である。描かれるのは故郷播州の港町、室津の鎌倉時代の情景で、絵画化されることが稀な題材が幅広い学識に依拠して描写される。遊女の装いや器物、水波や草花の描法などについても、映丘は伝世品の意匠、古絵巻の描写に学びつつ、直接的な引用とならないよう巧みに翻案している。謹直な線描や彩色には高い画技がよく示され、特に静かに雨が降るさまの描写は出色である。遊女の肉身には控えめな彩色によって陰影が表現され、画面の調和を保ちつつ群像の存在感を増すことに成功している。
 映丘は本作の主眼を、衰微した港町の遊女が味気ない月日を送る悲哀と説明する。これを表現するために能面を参照したといい、また本作の着想について、以前から室津の小波を描きたいと思っており、五月雨や梅雨の音もなく降る雨に女性を配したいと考えたと述べる。発表時の批評では、古画に学ぶことにより品位を高める点に加え、古画の直接的な応用にとどまらない、創意に富んだ情趣豊かな作品である点に評価が集まった。映丘の画歴においてもこうした趣向は初めての試みで、文展で評価を得られないとする映丘の不平を聞いた兄の井上通泰による、一度は調子を変えるべきという助言を背景に持つことが知られる。発表後、絵巻に代表される大和絵が近代絵画における新機軸の基盤となり得ることを示した作品と繰り返し論じられた作品であり、感化されたのは門下の画家に限定されず、時代を代表する名作という評価も早くに確立された。
 以上のように本作は、画壇を牽引した松岡映丘の代表作であるとともに、多大な影響力を持ったその作風が確立されるうえで重要な位置を占めている。近代日本画において大和絵の表現に新たな指針を示すとともに、発表時から一貫して重要視された作品であり、大正期を代表する傑作と評価されるものである。

室君<松岡映丘筆 大正五年/絹本著色 六曲屏風>

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