「西国名所之内」は「大坂安治川橋」から「尼崎大物の湊」「西の宮」「須磨・明石」「高砂」「姫路書写山」など西国の名所25 景が描かれています。作者の五雲亭貞秀は、幕末から明治期に活躍した浮世絵師で、開港から間もない頃の横浜の町や外国人などを描いた作品を数多く残しています。「兵庫磯乃町」は西国街道から兵庫に入る西の入口である柳原惣門(現在の柳原蛭子神社付近)から東に向かって兵庫の町と港を眺めた風景を描いています。町には瓦葺の町屋が密集し、海岸に沿って蔵屋敷が立ち並んでいます。また港には停泊する多くの船、そして海上には沖へ続く帆の列が描かれています。19世紀半ばの兵庫は、北前船や尾州廻船といった当時を代表する海運を結びつけるハブ港としての役割を果たしており、それが港湾都市として活況を呈した一因です。ただし、北前船や尾州廻船の船主たちは交易の拠点としてのみ兵庫を位置づけていたわけではありません。彼らは不足する船具や食料や水の補給基地、そして長距離に及ぶ航海で痛んだ船を修繕し、新たな船を建造する修船・造船基地としてもこの地を捉えていました。
幕府が兵庫を、将軍の上洛艦隊の受入港、幕府の直轄港として選択したのは、19 世紀半ばまでに近世港湾としての成熟を見せていたことが大きな要因の一つであろう。
【開国・開港】【近世の神戸】
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