本作は,大正から昭和期を代表する日本画家・安田靫彦(やすだゆきひこ)の作品である。靫彦は,日本 の伝統美を追求し,深い考証に裏付けられた典雅で華麗な歴史画の名作を数多く残している。
本作も,古事記や日本書紀に登場する女神・木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)を主題とする歴史画で,再興第38回日本美術院展(にほんびじゅついんてん)に出品された作品である。噴煙をたなびかせる富士山を背にし,岩に座した貴婦人風の女人の姿で描かれる。左手に桜をもち,また足元にも桜の枝が描かれる。桜には,セキレイとみられる鳥が一羽とまっている。木花之佐久夜毘売は富士山を神体山とし,富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)をはじめ,各地の浅間神社に祀(まつ)られている。また,その神木は桜である。桜にとまるセキレイは,日本書紀の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の国生み神話で夫婦の契りを教える鳥として登場し,安産の女神としても知られる木花之佐久夜毘売のイメージと重なる。これらのモチーフは靫彦の豊かな学識と考証に裏付けられたものである。また,肥痩(ひそう)の少ない洗練された描線や丹念な彩色は,靫彦の歴史画の特徴をよく示し,清澄で気品ある作品となっている。
なお,画面右下には「安」の朱文方印(しゅぶんほういん)が据えられ,靫彦自筆の墨書のある箱を伴う。
本作は,靫彦の代表作の一つとして学術的価値は高い。