平賀源内(1728~1779)は讃岐の志度に生れ、藩主松平頼恭に御薬坊主として仕えました。宝暦3年(1753)に遊学中の長崎から江戸に上り、田村元雄のもとで本草学を学ぶ。江戸でたびたび物産会や薬品会を開き、その成果を『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』に著しました。石綿、火浣布(かかんぷ)、エレキテルなどをつくり、戯作(げさく)も表すなど、多方面に才能を発揮しました。本図は、安永2年(1773)に阿仁銅山検分のため秋田に赴き、小田野直武や佐竹曙山に洋風画法を伝え、洋風画の理論的指導者と評される源内唯一の油彩画として知られていますが、他に基準作がない源内の真筆とするには慎重な検討が必要です。
【江戸の絵画】