「Division Street」とよばれた居留地西側の境界(現在の鯉川筋)。左(東)側が居留地、右(西)側が日本人と外国人の雑居地。この先にはメリケン波止場があります。立ち話をする中国人、人力車や荷車を引く人々、籠かきの姿も描かれ、当時の白黒写真ではわからない街の風景や人々の風俗が色鮮やかによみがえってきます。
当館は、居留地とその周辺の風景を描いたバーナードの水彩画を、合わせて5点収蔵しています。直筆(じきひつ)で「1878」と記したものが4点、「1877」が1点です。これらの年は、バーナードが神戸居留地26番のブラウン商会につとめていた時期とほぼ重なることなどから、史料的な価値も高いといえます。バーナードは戦時中も日本に留まり、昭和22年(1947)4月に93才で死去。千代夫人とともに横浜外国人墓地に眠ります。
【近代の神戸】