司馬江漢は自らの油彩画について「蝋画(ろうが)」と呼んでいました。その絵具の材料・製法は未詳ですが、油紙や笠などに使われる荏胡麻油を媒剤としたとも言われています。このような絵具は遅くとも十八世紀の前半には知られていて、宝暦7年(1757)年には長崎の絵師が大坂天満宮に油彩画を奉納しています。
日本の油彩画に関しては、司馬江漢はパイオニアというわけではありませんでしたが、注目すべきは、ヨーロッパの人々が様々な労働にいそしむ姿を主題として扱ったことです。そのモチーフの手本となったのは1694年にアムステルダムで初版が出された『人間の職業』という挿絵本でした。挿図で示された百の職業を譬喩とする訓戒的な詩文集で、その扉絵と、船員の仕事を描いた挿図をもとにして、江漢はこの対幅の男女図を描きました。ヨーロッパ諸国が日本や中国より長い歴史を有し、様々な学問や技術、社会制度を充実させてきたと、江漢は自らの著書などで礼賛してきました。その先進文明を支えているのが、勤勉で有能な国民で、彼らを良き方向に導いてきたのが、『人間の職業』のような訓戒本だと主張しました。男性図に朱字で記された"Eerste Zonders in Japan Ko:"というオランダ語風の記述については「日本における最初のユニークな人物」と解釈されています。
【江戸の絵画】