柳蔭野馬図 りゅういんやばず

絵画 日本画 / 江戸

  • 黒川亀玉筆  (1732-1756)
  • くろかわきぎょく
  • 江戸時代 / 18世紀中期
  • 絹本著色
  • 91.0×38.8
  • 1幅
  • 落款:「擬沈南蘋筆商山處士亀玉」

    印章:「安定之印」(白文方印)「字曰子保」(朱文方印)「家在石門北弐里」(遊印、白文長方印)

    来歴:1984神戸市立博物館

    参考文献:
    ・神戸市立博物館『まじわる文化 つなぐ歴史 むすぶ美―神戸市立博物館名品撰―』図録 2019
    ・國立故宮博物院特別展『交融之美 神戸市立博物館精品展』図録 2019
    ・九州国立博物館『トピック展示 視覚×革命 異国と出会った江戸絵画―神戸市立博物館名品展―』図録 2013
    ・成澤勝嗣「黒川亀玉伝の検討」『美術史論集』第11号(神戸大学美術史研究会、2011)
    ・神戸市立博物館特別展『コレクションの精華』図録 2008
    ・千葉市美術館『江戸の異国趣味―南蘋風大流行』展図録 2001
    ・神戸市立博物館特別展『花と鳥たちのパラダイス』図録 1993

黒川亀玉(1732-56)は江戸の生まれで、名は安定、字は子保、号は松蘿館・商山処士。幼くして狩野派を学んだのち、長崎へ遊学することなく中国絵画を独習したと考えられ、宋紫石らに先駆けて、江戸で初めて南蘋風花鳥画を手がけました。陸奥国泉藩主・本多忠如(1712-73)をはじめ、大名・儒者・書家との交遊を持ちましたが、宝暦6年(1756)25歳で早逝しました。

柳樹の下で安らぎ、首を曲げる2頭の馬の姿は沈南蘋や南蘋風の馬を学んだ与謝蕪村の野馬図にも認められます。左の馬は、首を水平にして後方を振り返る極端な姿。柳樹のぬめりを感じさせる質感とあいまって、きわめて濃厚な雰囲気を漂わせています。「擬沈南蘋筆商山処士亀玉」の落款から、南蘋の筆意に擬えて描いたことを宣言しています。18世紀中葉の南蘋理解を伝えてくれる重要な作品です。

【長崎ゆかりの近世絵画】

柳蔭野馬図 りゅういんやばず
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