西を宇治川,東を醍醐山地によって画された宇治川右岸域に築造された5基の古墳からなる古墳群である。
古墳群の築造は径46.5mの円墳である観音山古墳に始まる。続いて中期前葉に径40mの円墳である二子山古墳北墳が築造される。3基の埋葬施設から銅鏡,鉄製武器や農工具などの豊富な副葬品が出土している。中期後葉には東西34m,南北30mの円墳である二子山古墳南墳が築造される。埋葬施設から銅鏡,鉄製武器,馬具,農工具などが出土している。 二子山古墳南墳に続いて径30mの円墳である瓦塚古墳が築造される。埋葬施設は礫槨と木棺直葬である。後期前葉には墳長112mで,二重の周濠を持つ前方後円墳である二子塚古墳が築造される。埋葬施設は横穴式石室である。
このように宇治古墳群では観音山古墳から瓦塚古墳という継続的な円墳の築造の後,突如として当該時期南山城地域最大の前方後円墳の二子塚古墳が築造される。これは,ヤマト政権中枢に近い南山城地域において,地域内での古墳の展開とより広域的な政治的動向の両者を示す貴重な事例であり,古墳時代の政治的動向を知る上で重要である。