碓氷川左岸の河岸段丘縁辺部に築造された,古墳時代後期前葉の前方後円墳である。墳長80mで二段築成をなし,周囲には盾形の周濠・周堤・外周濠が巡り,古墳の全長は130mに及ぶ。墳丘には葺石が施され,平坦面及び墳頂部には埴輪が設置される。
埋葬施設は後円部に築造された横穴式石室で,玄室長4.07m,玄室幅2.32m,羨道長7.47m,羨道幅0.95m,全長11.54mである。羨道入り口側から階段状に2段下がって玄室に至る構造をなす。石室の大部分は川原石を用いて積み上げており,内面にはベンガラとみられる赤色顔料が塗布される。
明治12年(1879)の発掘により出土したとされる副葬品として,玉類,垂飾付耳飾,金銅製耳環,石製模造品,鉄刀,鉄鏃,小札,馬具,須恵器がある。埴輪には円筒埴輪,朝顔形埴輪,盾形埴輪などがある。
簗瀬二子塚古墳は関東における最古段階の横穴式石室をもつ大型前方後円墳であり,その築造に続いて群馬県域で広く横穴式石室が導入されるようになるなど,新たな埋葬施設と葬送方式の東日本への展開を考える上で重要な古墳である。