宋紫石(1715-86)は江戸の人で、長崎にて熊斐から南蘋風花鳥画を学び、宝暦8年(1758)長崎に来た清人画家・宋紫岩(?-1760)に学びました。その画名は、師・宋紫岩にちなむものです。重厚な南蘋画を咀嚼し、瀟洒な表現へ変容させた宋紫石には、宋紫山、土方稲嶺、蠣崎波響、司馬江漢など、多くの画家が師事しました。『ヨンストン動物図譜』の動物を用いるなど、江戸における洋風表現のキーパーソンでもあります。
南天には一羽の白頭翁がとまり、赤い実を咥えており、下方では庚申薔薇が淡く美しい花を咲かせています。塗り残しで表現した雪は、細かく筆を落とすことで墨の微妙な諧調を付け、雪の量感のみでなく、降り注ぐ(あるいは風を受けて枝からひらひらと舞い落ちた)さまをも描き出しています。冬の月明かりに反射する雪の白さは、宋紫石ならではの趣向といえるでしょう。南天は「天竹」とも称され、「竹」は「祝」と音通します。多数の実は多子多産を、白頭翁は長寿を示唆するものです。庚申薔薇は年中花を咲かせる「長春花」とも賞されますである。吉祥モチーフを組み合わせ、長寿多子繁栄の永続を込めつつも、瀟洒な作品に仕上げた点は宋紫石の卓越した表現といえます。「聯珠争光」の題は、南天の実が月光を反射する美しさを詠む一方で、漢詩を競う意も重ねられていると考えられます。
【長崎ゆかりの近世絵画】